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自分が発達障害じゃないかと疑ったことのある人 [徒然]

わりと多いんじゃないでしょうか、自分が発達障害なんじゃないかと思ってる人。判定に病院まで行くかは別として、発達障害に良くありがちな行動をしてしまう人って少なくないと思うんだよね。例えば片付けられないとかコミュ障だとか空気読めないとか。それはあくまで傾向なんだし、その傾向も程度問題という事なんだと思う。

国民の休日にNHKで発達障害の番組をやっていた。Eテレではそこそこよくやっている議題だけれども、NHK総合ではあまりないのではなかろうか。言葉にしてしまうと深刻さはないものの、実際に見てみるとこれは困るわというものが多かった。それにしても近江ちゃん顔は好みじゃないけど、全体的な雰囲気が好きだなw。

https://h-navi.jp/column/article/134

多くの人はその程度が日常生活に問題にならない程度に収まっているという事なんだろうけど、問題はそこで不都合が起きて解決できない状態になることだ。仮に発達障害と判定されたうえでも、日常生活や社会生活が上手く乗り切れていれば問題はない。というか、今までそこまで発達障害について細かく言われなかったのは、性格とかの範囲内だとされて無視されてきたからなんだと思う。

しかし、脳生理学的にもレセプター関連の病気であることは明らかにされつつあるし、程度の差はあれこの効率化された世界においては行動などが問題視されている。よく当事者じゃなくその親が、発達障害が病気じゃなく個性(の範囲内)だとする事を良く述べているのだけれど、それはその親が病気だと認めたくないだけなんじゃないかと思ったりする。病気だと設定して動いた方がその子のためになるし、親も発達障害の子供も楽になるだろうに、何で体面ばかり見繕うのかわからない。他の障害者と同じように扱われるのがそんなに嫌な事なのだろうか。

確かに人の程度によっては、この社会でもごまかしながら発達障害を個性として生きていくことはできるだろう。でも、昔と違って他人の好意を圧倒的に受けづらい世界になってしまっているのだ。恐らくは、親としては被差別カテゴリーにされたくないというのがあるんだろうが、LGBTや障碍者もどこまで行ってもそれは変わりのない事だし、病気による生きにくさと差別されてしまい不利益を受けるというのは、本来的には別のものだ。そもそも、病気で生きていくことに不都合が起きているならそれは障害と言っておかしくはない。それを個性だと言ってのける人は、逆に障害への差別を助長していると言ってもおかしくはない。

今の状況では、障害者と健常者をぶった切る敷居というのは明示化されているが、発達障害に関しては半分自己申告で他の障害者ほど明確ではない気がする。よくグレーゾーンと言われますが、困って一人で立ち止まって他人の助けが必要な状態であったとするなら、やっぱりそれは障害者と言わざるを得ないし、多くの場合認めてしまった方が事がすんなり進むのだろうと思います。

結局は程度問題なのだろうと思いますが、大人になってからは二次障害で気づくことも多いのでしょうから、その二次的な病気も背負っていかないといけないわけです。そういう意味では、子供の頃に発達障害と判定された人より、その程度よりもさらに根深いものとなってしまう可能性も大きいはずです。

都市化社会で現代にいろいろ歪みが生じているのはわかっていますが、少子高齢化にしても過疎にしても仕組み自体が循環せず立ち行かなくなっている気はします。高度な効率化によって便利な面と不可逆的に不都合な面が際立ってしまっているのでしょう。それが境界線上にあるグレーゾーンの発達障害の人々に顕著であると言えるのではないのでしょうか。

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Twitterでセクマイが気持ち悪いって話を見て [徒然]

正論を言うつもりなので、炎上することもないだろうし、意図的に炎上させるために書こうとも思っていない。何よりみんなが平静に暮らせることを願っているだけである。


LGBTとか最近良く取り上げられているけど、相変わらずテレビは変な人枠として採用している節がある。それが気のせいだというなら最近よく使われる「おねえ」という蔑称は何であるんだろう。セクシャルマイノリティを特別に見る事は差別だと大声で叫ぶ人間は少なくないが、正直おねえと呼ばれている人達はあまり見たくない。ゲイでもトランスジェンダーでも進んでテレビで見たいとは思えないのだ。だけどテレビは良く使う。明らかに見世物としての扱いだ。EテレのバリバラでLGBTのリテラシーを広めたいとかならわかるけど、明らかに売りにして金稼ぎをしている人は多い。

しかも、テレビなどが面白要因として使っているのが浅はかすぎる。それは昔からの伝統だからだろうか。気持ち悪いという言葉が差別なら、とてつもない違和感を感じると言ったらいいのだろうか。あえて違和感を感じさせられるのは見ていて疲れるし、あえてそういうおねえアピールを求められてやることも痛々しくて厳しい。テレビなどを見ていてそれを楽しめないのだ。大体が素直に笑えないし、周りのいじり方もそれ相応な扱いをする。それと自分は差別というより、あのタレントが嫌いに近いものがある。だからはるな愛は大丈夫でも現キングはちょっと…という慣れの問題でもあるのかもしれない。

ゲイバーに行ったことはないが、ガチでゲイを口説きに行っている人は少数派だと思う、良く知らないけど。少なくとも、ホステスがいるキャバレーやそれに類する男性用性風俗より性的に本気で行く人は少ないだろうし、ゲイバーに女子が行くという話もよく聞く。そういう意味で歴史的に見世物にされてきた一面は否定できないし、それに甘んじなければならない状況もあったのだと思う。そういえばレズバーって聞かないな。この世のどこかにはあるんだろうけどね、レズ風俗があるくらいだから。

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厄介なのはそういうのが助長されてはっちゃけちゃう人と、インにこもって自殺してしまうまで行ってしまう人がいるという状況。後者側は非常に残念と言う他ないが、自分で呑み込めないものを他人に飲み込ませることなんてどだい無理な話なのだ。ただ、思っていても言っちゃいけないというのは、大人としての対応としては守るべき事なのかなとは思う。世の中失礼な人間が多いし、ネットだとそれが増長してしまう事も多い。


話は少し変わるが、個人的に百合は大好きである。一時期百合マンガブームがあったが買い漁ったクチである。レズ物のAVもそこそこ見る。男同士は好きになれなくて、女同士ならいいのはなぜだと言われたらそういう嗜好があるとしか言いようがない。そういう意味ではセクマイと同じともいえるのかもしれない。

ただ、ガチレズのカップルを見ると目がイっちゃってるなと感じる事はある。というか、レズビアンとしてマスコミに出てくるのって相当勇気がいる事なんだろうなと、その気負いは感じずにはいられない。それはより頻繁に見るゲイなどの比ではないのだろう。だから基本的に腐女子と同じでファンタジーとして楽しんでいるだけなんじゃないかとも思える。


オッサンきもい、と言うのと、おかまキモイと言うのと何が違うのかと言われれば、結局、差別されるにしてもマイナーな弱いものは保護されるべき、という論法なんだろう(まぁおっさんだって弱い立場の人間はいるとは思うんだが…)。少数派は弱い立場に立たされることも多いからLGBTも保護されるべきだと。

ただ自分たちの主張を必要以上に声高に叫んでいるとしたら、それは叩かれても仕方ないなと思う。それはフェミニズムとかジェンダー論にも言える事で、それは別物だから公平にすることはできないでしょ本来、というところまでに踏み込んでしまう人が少なからずいるわけで。そういう論外は別にして、そういう存在があって不当に苦しめられているという事を表現する自体は主張すべきだとは思うけどね。でも存在は否定はせずともあまり見たいと思わない人も割と多くいるというのも配慮してほしいなぁと思うのも正直なところ。まぁテレビに必要以上に露出するのは避けてほしい。


もっとややこしい事にLGBT内でも差別があるらしい。のけ者にされているのはバイセクシャルらしいが、LGTからはどっちつかずで本当に苦しみを分かっているのか的な見方をされるようだ。確かにガチで性的な一致で苦しんでいる人にとってはどっちもいけるという節操のなさに見えるようで、バイとは同じセクシャルマイノリティとしてひとくくりにされたくないみたい。バイなのにホモセクシャルだと名乗って隠避している例もあるという。

結局、人間って分かり合えないものなんだなとつくづく感じる。結局、差別している人も差別するという多重構造ができているだけで、根本的に自分を飲み込むだけじゃなく他者の事情も呑み込む事もできないという状況だ。LGBT関係のディスる側を批判する人たちにそこまで飲み込んで語ることなんてできるはずもないと感じる。少なくともディスっている人を糾弾できる権利はバイセクシャルを批判しているLGTと同じ程度ぐらいかそれ以下しかないと思う。

確かにポリティカルコレクトは大事だと思うよ。それはアメリカのトランプを見ていても確かにそう思う。だから慮って言いたくても言わない事は大事なのだと、そこが出発点だしすべてだとも思うんだよね。ただリアルにもネットにも陰口をたたく人は多く、それは正当な批判ではないことが多い。


また話は変わるんだけど、前にツイッターでも書いたのだが、発達障害は病気であると認めた方が楽になるんじゃないのと。脳科学的に脳神経のレセプターの不具合であることは突き止められたようなので、多かれ少なかれ病気と判断していいのだろうと思う。発達障害の親は個性の範囲内だという人も多いが、それは子供のためにならない。個性の範囲内で済む話ではない人がかなりの数いる。だから無理をせず薬で抑えられる人は抑えるべきだし、病気だと思いたくない親類のために我慢する必要はないのだろう。非常に効率化された現代では生きにくいのは仕方ない話だ。

LGBTは病気かと言われると、多くの人はそうじゃないと言うだろうし、その点においてはアメリカなどで色々物議を醸しだしたという話は、知り合いの医者から何となく聞いている。ただ発達障害などと異なるのは思考に不連続性が帯びているという事だ。男性が少し嫌いとかじゃなく、男性を全く好きになれず同性を好きだという、性的な不連続性(性別が逆も真なりですが)。だけどこれを病気としても何か解決するわけでもないし、子作り以外は基本的に問題ないだろうし、そもそも脳を治すことが困難であるし治すべきものかさえもよく分からない。性格的な問題とすればそれで済む事なのかもしれないけど、どうにも腑に落ちない。

ただ言えるのは病的に困難であるという事実は残る。人間社会的に押しつぶされてしまう人もいるし、それを乗り越えるのは容易い事ではないだろう。そういう意味では弱者であるというのは間違いないところだ。薬で治せるものであれば治してしまいたいという人もいるのだろうが、そういった便利なものは現状存在しない。

LGBTは病気でも障害者ではないとされているけれども、ある意味それ以上の苦労を強いられている気もする。だから、他人に迷惑をかけない範囲内で助力が必要だと感じる。だからEテレのバリバラなどで障害者と同列で扱われているのもうなづけるところだし、困難さとしては同等と言っても過言ではないだろう。助力は無理だとしても配慮は必要だろう。マイノリティといえども、かなり数がいるメジャーマイノリティである以上無視はできないのかな。

人間ってつくづく平等にできていないから、下に沈んでしまう人をある程度底上げする必要は感じる。アメリカ的な自由だが助けが少ない社会よりかは、社会主義的な日本の方がよっぽどいいな。とはいえ、日本もバブルがはじける前から格差社会は始まっていると言われているので、みんなが安泰な時期は過ぎているのかもしれないけど。

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オルソケラトロジー気になるな。 [徒然]

今まで普通のコンタクトレンズやレーシックなどがありましたが、何となくメガネ男子で過ごしてまいりました。男子と言うほど若くはないので、レーシックはあまり適さないっぽいし、ずっと付けているコンタクトとかはあまりうれしくないのでした。

コンタクトでも良かったのだけれど、いちいち買いに行くのも面倒だし、就寝前の付け外し作業があまりに面倒だろうし、結局眼鏡と併用しないといけないので眼鏡でいいやんって話になってしまったのでした。コンタクトでも寝ている間もつけっぱなしならいいんだけど、それはそれで目に負担がかかるのだろうし厳しかった。

レーシックは単純に手術的に怖いというのと、やっても効果が薄い可能性があるというのが嫌だったのでやらなかった。何回かきっかけはあったんだけどやらなかった。値段も決して安いものではなかったしね。


テレビでちょこっとオルソケラトロジーがやっていて、名前も覚えていなかったんだけど「視力矯正 -レーシック」でレーシックを除いて検索したらすぐに出てきた。
https://orthokeratology.jp/

普通のコンタクトと違って寝ている間にするというのがいい感じ。しないでほっとけば元に戻るというのもある程度健康的な感じもするし。ハードコンタクトレンズ並みの手入れは必要みたいだけど、それは強制という目的だから仕方がないのだろう。

色々眉唾的なところもないことはないが、Q&Aで大体の理解はできるので不都合なところはそれほどないだろうと思われた。

https://orthokeratology.jp/orthokeratology/qanda/

一応デメリットというか適さない人やことにも言及があるし。
ただ20万円の眼鏡とすると少々お高い気もするな。今まで買い直した眼鏡代よりも高い気がするし。

まぁちょっと繁華街まで出ないと治療を受けられないので、そこのところがクリアになったら分からないかもしれないな。でも眼科だから土日は開いていないか。ううむ。結局、遠くを見る機会がないと近視が進んでいくのは止められないのかもしれない。

それにしてもオルソケラトロジーって名前が覚えられないw。

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訳の分からないイメージCMを打つ会社は大抵クソ [徒然]

ちょっと前に出川が一人二役でコインチェックがいいんだよ、と無駄に復唱するCMをやっていたのだが、すぐにNEMの流出事故を起こしていた。時を大して違えずにZAIFという会社も剛力彩芽を使ってCMを打っていたが、不祥事を起こしてCMから剛力を撤退させてしまった。たぶんギャラは払って打ち止めという事なんだろう。

仮想通貨自体がバブルになるだろうなという事は、マウントゴックスあたりで急激に冷え込むか逆に有名になって手を出す人が増えるかと感じていたので、想像に難い事ではなかった。しかし、これだけ色々出てくるとは思っていなくて、これを維持するためにGPUが無駄にエネルギーを消費しているのだなと思った。

ともあれ、CMをバンバン打てる会社というのは怪しいと思って間違いない。確かに財政基盤がしっかりしていてダメ押しのようにCMを打つ会社はあるのだけれど、どちらかというとそっちは少数派で、とりあえず知名度を上げて内容がなくても売ろうとする会社は多い。特に金儲けに関するものには眉唾なものが少なくはないだろう。FXが流行った時も、NISAが出てきた時も、やたらCMがやっていたけど今ではそれほど多くなくなったのは実態が見えたからで、濡れ手で粟の儲け話なんてないのが分かったからだ。

商品を売るためのCMは当然なのだろうが、それにしたって内容が伴っているものかどうかというのは別の話なわけで。本来なら口コミなどで商品の良さが広まって売れていくのがいいのだろうが、世の中に抜きんでたいい製品というのはそんなにあるもんじゃない。だからこそのCMなのだろうけど、おもちゃなどは本当に文字通りの子供だましのものが多いのだと今更ながら気づく。

少なくともCMで出てきていて知名度が高い会社に関しては信用に足るかどうかは別だとはっきりと感じた。逆にTVCMなどにつぎ込む金があったら地道に仕事に金をつぎ込めよと言いたくもなる。売り文句でCMでお馴染みのなんて言っている会社はやくざな会社が多い。

分かっているようでも色々会社を転々として社会勉強をしていくうちにしか実感的にはつかめないものだと感じる。何を信用していいかというのは難しい話だろうが、TVCMは基本的にあてにならないのは心に留めておくべきだ。TV局側にしてもスポンサーの悪いニュースはなるべく隠ぺいする方向に走るのだし。

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朝まで生テレビはディベートの番組ではなかった [徒然]

もう朝まで生テレビなんて流行らないとは思うのだが、以前流行っていた時、田原総一朗のディベートのホストはクソだなと思っていた。人に話題をふる方法も変だし、ホストがいろいろ言い過ぎる。

一年ほど前に知人からあの番組はディベートの番組ではなくて、田原総一朗が意見を述べたい番組なんだという事を聞いた。実際、田原総一朗本人が言っていたことのようで、単に政治問題を言いたいだけのおじさんなんじゃんと飽きれた。

朝まで生テレビじたいが、ディベートを模した欺瞞の番組で、政府云々を言えるものではないんじゃないかと思った。ただ出ている人はディベートをしていると思っていたと思うので、一時期はすごく喧嘩みたいな時もあったんだけど、それにしたってディベート慣れをしていない感じはしていた。だから田原の介入もおかしいと思っていなかったんだろうな。

そもそも日本にテレビで公開討論やディベートをする文化がないので、そういうのが成立していないことが多くて悲しい。別に欧米に準ずることはないのだけれど、NHKの土日のどっちかの朝にクソつまらない論議の番組をやっているけど、日本の国会にも劣るつまらなさなんだよな。

と久しぶりに朝生を見たんだけど、昔ほどけんか腰の人は揃えてなくて、数人が正論を言って終わりという感じであった。淡々と進んでいっていたので、昔の喧々諤々の雰囲気は味わえなかった。その分、勉強が足りてない人が強い口調でまくし立てるという見ていて悲しくなることもなくなっていて、テレビ番組としては見やすくはなっていた。ただでさえ眠い時間帯にこのテンションは眠くなってしまうのは避けられないわけで、視聴率は昔ほど出てないんじゃないだろうかとは思う。

というか、朝まで生テレビなんて今もやっていたんだね。夜ふと起きてタモリ倶楽部を見た後に惰性で見たのだけれど、空耳アワーと共に生き残っていた。しかし、オンタイムでテレビを見る事って少なくなったなぁとしみじみ感じたものでした。

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テレビ本当につまんないな。 [徒然]

何度も言うが、最近のテレビが本当につまらない。特にゴールデンタイムが全滅に近い。たまに見るならいいのだが、みんな似たような子供と老人向けの番組しかない。

音楽は地位を金で買うExileとか、大部分がかわいくもない秋元康のAKB系とか、大してかわいくもないのに事務所からごり押ししてくるCMに出てくる少女とか、つまらないのに使われるホンジャマカの恵みたいな司会業になぜかいるお笑い芸人とか、ひょうきんだけなのに面白いと勘違いしている役者崩れの芸能人とか、本当にウンザリだ。

たまにやる面白そうな番組は録って見たりはするが、ずっとつけっぱなしにしておく時代は終わったな。どうでもいいけど、各局横並びのラインナップなのはどうにかしてほしい。今まで見てきて目が肥えてしまったのもあるとは思うが、それだけじゃないと思うんだよね。テレビを作っている人間がテレビしか見ていないから番組がすごく薄っぺらくなっているようだ。

広告料がWebに流れているようだが、ネタをWebに求めるのも止めてほしい。あぁそれネットニュースで見たけど今頃やるのかよ、という既視感がありありとしている。調べ物もテレビ側がネットをよく使うから、個人でできることテレビでやってるんじゃねぇよと突っ込みたくもなる。

本当につまらないのでどうにかしてくれ。

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年度末なので… [徒然]

年度末だからか少しブログのランクが上がってきた。まぁみんな忙しいよな。これから退職にまつわる処理が面倒くさいので、早いところ終わってほしい。次の仕事が決まってないのに忙しいとか本末転倒も甚だしい。

国民健康保険や国民年金への移行も退職後じゃないとできないってのはちょっと馬鹿げている気もするよな。重ねて払ったところでどっちも併用はできないんだろうから不都合はなかろうに。そのわりには短い間に手続きを済ませないといけないみたい。どんだけ人を急がせるんだって話。ほんとウザい。

Notepad++が思ったよりも悪くない。やっぱり設定いかんだと思う。証明写真を撮りに行くのが高いので、GIMPで作って写真の現像の端末で印刷しようと思っている。それなら一枚30円だし光沢が写真っぽいし。

今期はアニメはそこそこ見ているな。ゆるキャン△に、恋は雨上がりのようにに、だがしかし2に、ヴァイオレット・エヴァーガーデンに、斉木楠雄のΨ難に、ラーメン大好き小泉さんに、カードキャプターさくらクリアカード編って、結構見るだけでも大変だ。そういや宇宙よりも遠い場所も見てたわ。CitrusとルルーシュR2は見たいけど見れてない。

年とってもあんまり生活が変わっていない。結婚してないし子供もいないし、そりゃ変わるものも変わらんよな。患う病気ばかり多くなって薬が増えていく。そんな年のつもりじゃないんだけど、どうやら色々腹をくくらないといけない歳らしい。元々多かった白髪もさらに増えてきたしね。

そういやポプテピピックは大して見たくないんだけど見ちゃう。半分は若干飛ばし気味で再生して。ただドラゴンボールのフリーザとセルの回はすごかったな。若本規夫だけでもインパクトあるのにw。

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近況報告 [徒然]

誰にするわけでもないのだけれど、近況報告を。

年度が替わるところで会社都合の退職をする。本当は続けていたかったけど、会社の状況が悪くなったのと非正規労働者なので致し方あるまい。ただ体の疲弊具合もそこそこ悪くなっていたので、ゆっくり就職活動をするのもいいのかなと。最悪一年弱少ないながらも失業保険が出るのだろうし。何年も前から人生縮小運転中なので、ある程度のお金が入ってくればそれはそれで何とかなる。

今の会社は教育に金をかけていて、あんまり役に立ちそうもない資格を数個取った。まぁ少しは履歴書に箔がついて、ある程度は積極的にみられるだろう。こっちは勉強するなら時間がもったいないので、一応資格が取れる教育関連にしたのだが、直接業務にかかわらずつぶしが利くものにしていた。

独立系のIT企業のプログラマのお客先常駐なんて派遣と大して違いはないけれども、あからさまに切るところは経営が弱い馬鹿な会社が一つあったくらいで、それでも非正規よりはまだマシだったようだ。まぁ非正規で事務でなんていくらでもなりようがあるのだろうから、切っても後でまた入れればいいだけの話なんだろう。

そんな年度末に忙しくしている中で、辞めさせられるからほどほどでいいかってなもんで、忙しくなるのも天罰なのだよと平常運転で作業中。急いでもやれることは少ないし、引継ぎも聞いてこなかったら必要以上の事は言わない。というか、自分がもう忘れている。思い出すのも面倒くさい。

今度もそこそこいい会社だと良いなと思ったり。ただもう少し長くいれないとまた就職活動とかしないといけないのでめんどい。会社が良くても現場が良くないときついんだよね。結局人付き合いだからね。それともう少しまんべんなく仕事があると良いんだけどなぁ。忙しい時期と暇な時期が非常に分かれていて時間を過ごすのに困った。

そんなわけでヴァイオレット・エヴァーガーデンを見ながら色々画策中。まぁやれることは今までと大して違いはないのだけれど、大きな後ろ盾を失った今不安ではある。

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R-1ぐらんぷり初めて見た。 [徒然]

今までの優勝者から見て面白くないんだろうなと思って、R-1ぐらんぷりは今まで見ていなかった。というか、単にタイミングが合わなかっただけというのもあるのだろうけど、深夜枠でやっていたわけでもないだろうから、やはり積極的に見たいと思わなかっただけかもしれない。

でも見てみたら思いのほか面白かった。思ったよりもかなりとんがっていて、とんがっている割にはあらびき団のような洗練性のなさはなかった。ただゆりやんレトリィバァが評価され過ぎのような気はした。攻めているのはわかるけど、ちょっと違うなという気はしていた。

盲目の芸人浜田祐太郎さんが優勝したわけだけど、しゃべくりとしては確かに群を抜いていたなと思った。

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201803060000658.html

障害をネタにするというのは、見ている人としても笑いにくいが、あんまり気にすることはない気がした。少なくとも自分からネタにしている分にはいいのではないかと。そして、障害のお目こぼし的に優勝したわけではないというのは見ていて誰もが分かったと思います。まぁオバマ大統領の勝利の時のように少しはバイアスはかかっているかもしれないですが。

http://blogos.com/article/282068/

確かにたかまつななさんの言う事はわかるけど、Eテレのバリバラは少々痛々しいが、別に笑ってもいいんだという笑わない前提を取り去ったこと自体は成果となっているのだろうと思った。

でも、浜田さんが出てきた時に一瞬客が引いたのを感じた。女芸人のデートクラブで9万円とかを搾取していると言ったときぐらい引いていた。ただ、それ以降はみんな引かずに笑っていた。自虐ネタは笑いを取りやすいが、あまりやりすぎると引かれるのが難しいだろう。

ハゲとかならいいのに盲目はダメってことはないんだろうけど、やっぱり本人が思っていることとは別に違いはあるよなぁと。ハゲで生活に困ることって、結婚しにくいとかモテないとかそれくらいのもんだろうけど、それはそれで深刻かもしれない。ただネタに出てくる関西のおばちゃんの無神経なまでの言動が笑いの元になっているのは、彼が関西に生まれた強みかもしれない。

障害の取り扱いは難しいですけど、あんまりお互い深刻にならないことが大事だと思います。ただ、できないことへの補助はきっちりしてあげるのが前提で。

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コミュ障は病気か? [徒然]

良く自分はコミュ障だからとか言う人がいるけれども、それは多くの場合病気ではない。コミュニケーション障害と言うといかにも病気っぽく聞こえるが、仮に病気であっても普通の生活に支障をきたすほどではないのだろう。ただ単に人とうまく話せないというのは人によってはよくあることだと思うし、相手によっても話せたり話せなくなったりするのが日常だろう。話したくもない人は案外いるもんだし。

今更、おおきく振りかぶってを見ている。主人公はかなりコミュ障だが、野球のピッチャーをするという積極性を持っていて、それに関しては問題があるものの何とかやっていっている。まぁ日常生活を送っていくうえで全部表現してしまうというのはそれはそれで問題があるし、そこの調整が上手くいっていないのがコミュ障たるゆえんだろう。

立場上、多くの精神障害者を見てきたけれど、精神障害者の前に人格障害なんじゃないかという人が結構いて、それは病気から来ているものなのかそうでないのかよく分からない人が結構いた。恐らく、そういう性質がそもそもの病気の種になっている気もするんだが、どちらにしても病気である上に人に迷惑をかけがちというのは非常に残念であり、本人の言い訳にもしてしまっている気はする。

そういう人格障害者は基本的に薬で治せるものではないからそもそも病気ではないという医者もいるみたいだが、全体の方向性としてはそういう人の面倒も見ることになっているようだ。確かに精神の異常によって、日常生活に問題をきたしていること自体は同じなので、精神科としてはやらざるを得ない状況にはなってきているのかもしれない。

そもそも精神障害で問題になる人は、表立って家から出てこないのだろうと思う。なので問題を起こす人は人格障害の方面の人が多い。医学的に人格障害の定義はどうなっているのかは細かくは知らないけれど、多くはその人間の性質に依存するもので性格と言い代えてもいいのだろう。性格が悪いか、正直頭が悪いかどちらかだ。その両方だとたちが悪い。

大体の人格障害者は自覚がない。自分がおかしいと指摘されると徹底的に反抗する。もしくは空気を読まずにそのままの状態を断行する。自分の劣った部分を自覚できないというのは、子供のわがままと同じだ。徹底的に人のせいにするし、自分の悪いところを直そうとしない。本当に手の付けられない人でこんな人に手を貸すのはごめんだと感じてしまう。

ただ精神障害者は多くは人格障害を併発しているわけではないだろうし、両方が似たような行動をとってしまうことも否めない事である。ただ、それを原因とするところがちょっと違うので、薬でどうにかできるところで切り分けできそうという医者の話は納得できなくもない。

話は戻ってコミュ障だけど、人に伝わることなんてそもそも大してないという事を考えておくべきだろう。むしろ人格障害のように多く話して悪い印象を与える方が害があるのではないかと思う。だからコミュ障は病気ではないし、それまでの生い立ちもあるだろうから、多くを主張することがなければそのままでいいんじゃないかと思うんだよね。明らかに人間としての利益を失ってしまうのは避けたいけど、そうなるのは普通のやれている人にも害になる状態ではあるわけだし。

それと精神障碍者にしても人格障害者にしても、狭いところに一堂にさせておくのはあまり得策ではない気はしている。刑務所でトラブルを起こすのと一緒で、同じ性質がぶつかるのは良い事ではない。できれば、障害を知らせた中で健常者と共に過ごした方が健やかに過ごせることが多いのではないかと見ていて思う。多少色眼鏡で見る人もいるだろうが、そのうちにお互い慣れるしやはり相手に余裕があった方が障害者としても過ごしやすそうだ。

そういう意味ではコミュ障同士だと苦労しそうだが、連絡ができてなくて連携ができないなんて仕事では死ぬほど見てきているから、伝えなきゃならないことはいくらでもある手段を使って伝えればいい。対面で話すこと自体は得意じゃない人は程度の差はあれたくさんいると思うし。

そもそも、コミュニケーションがうまくいっていないと理解している時点で半分その状態を脱しているようなものではないだろうか。あとは工夫して最低限でも伝わるようにすればいいだけの話だ。そういう意味ではコミュ障は障害でも病気でもない。確かに場面緘黙症だとかはきついと思うが、大体の自称コミュ障の人はそうではないはずだ。ようは程度問題なのだろう。

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