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NVENCのサンプルコードがリブートしたら動かなくなった。 [徒然]

Video_Codec_SDK_8.0.14のコンパイルが通って、NvEncoderとNvTranscoderが動いてご満悦な感じでしたが、OSをリブートするとCUDA関係らしいエラーが…。

Video_Codec_SDK_8.0.14/Samples/NvEncoder$ ./NvEncoder  -i out.yuv -o test.mp4 -size 674 440
NvEncoder.cpp line 143: cuInit error:0x64
NvEncoder: NvEncoder.cpp:144: NVENCSTATUS CNvEncoder::InitCuda(uint32_t): Assertion `0' failed.

Video_Codec_SDK_8.0.14/Samples/NvTranscoder$ ./NvTranscoder 
cuInit(0, __CUDA_API_VERSION, hHandleDriver) has returned CUDA error 100


はじめで転んでいるので、CUDAの設定の問題なんだろうなと思うのだが、ブート時に有効になっていないのかなと思ったり。たぶん前はCUDA自体を使っていないコードなので、コメントアウトしてなんとかしたんだと思った。

$ ./NvEncoder  -i out.yuv -o test.mp4 -size 674 440
NvEncoder: ../common/src/NvHWEncoder.cpp:491: NVENCSTATUS CNvHWEncoder::NvEncOpenEncodeSessionEx(void*, NV_ENC_DEVICE_TYPE): Assertion `0' failed.
中止 (コアダンプ)


ん〜コメントアウトしても容易に解決しないな。CUDAがきちんと動いてくれる方面を確かめたほうが良さそうだな。ブートされてリセットされてしまう設定というのは何なんだろう。コンパイルができているという話であれば、やっぱり環境が動かすのに足りていない状態になってしまったんだろうな。

そもそもcuInit()の引数の数がWebのものと違ったり気持ち悪いところはある。


$ nvidia-smi 
Failed to initialize NVML: Driver/library version mismatch


ドライバがなんか良くないみたい。というか、それまでなんで動いていたんだろう…。

前はNvidiaのサイトのインストールイメージが出来が悪かったので(特にグラフィックドライバが腐っていて表示されなくなったことがあった)、地元のリポジトリのみでやろうとしていたんだけど、どうにもうまく行かないので本家のUbuntuのインストーラで入れてみる。CUDA Toolkit 9.2なるものを入れてみた。

あ、リブートしたら動いた。苦労せずとも
https://developer.nvidia.com/cuda-downloads
で普通に入れていれば問題なかったってばよw

もう面倒くさいのでNVIDIAにおまかせでいいや。というかはじめからそうできれば問題なかったのだが、下手な前知識が無駄な事態を招いてしまった。

タグ:NVENC
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しばらく日大危険タックル問題ばっかりで… [徒然]

テレビで他にやるネタもないらしく、日大の危険タックル問題ばかりやっていた。ネタ不足のテレビほどうんざりするものはなく、ニュースやワイドショーなどは他にやることないのかなと思う事がしばしばである。

日大での経営側の問題も引き合いに出されていたりしたが、大学の経営なんてあんなもんだろうなとは思う。大学みたいにきっちり営業成績を上げなくていいところに、マスコミ対応にきっちりとした人間が出てくるはずがない。アメフトの直接的な指導に関しても体育会系ならあり得る話だろうなとは予想は付いた話だった。

テレビは叩けるものがあれば徹底的に叩くのであるが、そんなもの普通に存在する事だろうという事をこれ見よがしに叩くんだよな。日大アメフト部の監督やコーチの愚行は論外としても、他の部分は想定内だとは思う。別にそこまで叩くんだったら日頃から叩いとけよと言いたいのだが、何かきっかけがないとワーッとみんな群がらない。衆愚的で見ていて頭が悪いように見える。だからマスゴミと貶されるのだろうが。

最近テレビの視聴率が上がらない、と口々に言われるのだが、そもそも同じことばかりをしているものを見て、それを面白いとずっと見続ける人がたくさんいるとは思えないんだよね。Webなど暇つぶしの方法が多様化して色々薄く拡散してしまったのだろうが、そもそもテレビを見ている暇な人が減っているというのもあるんだろうと思う。ニートも高齢者も増えているのだろうが、そもそもが景気をよくする主体になる人たちではないし、日本社会全体が収入減になっている世の中では働かないと話にならない。

コンテンツも面白くないしな。逆に今までなんでゴールデンタイムに終了時間を延長してまでプロ野球がやっていたのか謎だし。だってただの多くの中にある一つのスポーツだよ? なんで野球だけそんなに優先されるのかずっとわからなかった。実際、みんな愛想をつかしてナイター中継を見なくなってテレビで放送する時間が減った。そりゃみんなが見なけりゃスポンサーも金を出さないよな。

最近、深夜アニメとニュースぐらいしか見なくなっているのだが、ニュースはあまりに同じことを繰り返してやるので、一日一つか二つの番組をチラ見する程度で十分だしね。本当にテレビがつまらなくなった。特にバラエティ番組が壊滅的に面白くなくなった気がする。毎週見たいと思える番組がほとんどない。昔はそこそこあったのだが、今は本当に限られている。

テレビがあくまで多くの娯楽の中の一つでしかない、という事なんだろうね。そこに多くの資本が流れ込むのはしばらくは続くのだろうけど、もうWebなどによってマスコミ自体の裏側も見えてしまっているし、もろ手を挙げて賛成するという状態でもない。

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ダークモードに入りつつある [徒然]

中二病ではないが、精神がダークモードに入ってきている。本格的になると薬を強めないといけないかもしれないが、何というか波があるのでどうしようもない事ではある。

なんというか、意欲がなくなってくる。何をしても楽しくないししんどい。暇な日はずっと寝ている。やるべきことはいくつかあるんだけど、リミットが決まっている事ぐらいしか動かない。

日常生活は親に介助してもらっているも同然なので、特に不都合はない。これが全部自分でやらないといけないとなると、行政に助けを求めなければならないレベルになってくる。そのくらいのしんどさ。昔、一時的に一人暮らしをしなくてはならなくなった時に、生活の補助をしてもらいに行ったけどその事態自体に落胆を覚えたものだ。一人では生きていくこともできない。

なまけ癖と言われればそうなのかもしれないけど、ほぼ病気なので生きているのを保つぐらいしかできない。さすがにトイレとか食事は普通にできるけど、しなくてはいけない状態になるまではしんどいのでなるべくやりたくはない。

生活習慣病の薬を加えると鬼のようにたくさん薬を飲んでいるが、それだって朝昼夜に分包してもらわないとしんどくて飲む気にもならない。昔はポチポチ自分で薬を小分けにしていたが、もうしんどくてやっていない。以前は飲み過ぎて肝臓を悪くしたこともあった位で、今は大丈夫なのかなとちょっと思ったり。

しんどさが精神的なところから身体的な痛みに変わってくると厳しい。寝てばっかりいると褥瘡ではないが、体が痛くなったり逆に体力を削られたりしてしまう。辛い生活だけど何か目標になる心が明るくなることがあればいいのだが、そういうのが特にない。子供がいるわけでもないし、ペットを飼っているわけでもない。そもそも一人で生きているだけでも大変なのに、あっけらかんに他の命を預かるなんてことできないよな。

そんなんで明るく振る舞えなんて無理。将来に希望も持てない中で、現状も不安を抱える。投げ出すにもその意欲が出ない。厳しいな。

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最近おっさんくさいことが多い [徒然]

よくオヤジがえずいているのを聞いて気持ち悪いなと思ったりしていたのだが、自分でもよく気持ち悪くなってオエオエしてしまうことが多くなった。あまり良くないことだとは思いながらも、胃とか食道が気持ち悪いとどうしても出てしまうんだよね。

歯磨きでえずくことはないんだけど、お茶を飲みすぎたりご飯を食べすぎたりして気持ち悪くなる。お茶を飲みすぎるってのは暇で飲む頻度が高くなっているということもあり、年を取ってきて食が細くなっているのに同じ量だけ食べているということもあるのだろう。まぁ気持ち悪くなっても仕方ない原因はわかっているんだけど。

食が細くなっているのに、食べるというのは太るのもあるので気にした方がいいんだよね。中年太りは結構体育会系で若い頃たくさん食っていた人に多い気はするけれど、ただでさえ酒の肴はカロリーが多いものも多いからねぇ。体育会系じゃなくても運動が足りてない大人は多いだろうし、太るだけじゃなくて色々な健康を害している人は少なくないだろう。

食べるときもそうなんだけど腸の調子もあまりよくない。第一に腹痛が結構する。何かの病気なんじゃないかと思うこともあるんだけど、特に健康診断で何か言われることはない。まぁ健康診断は流れ作業で細かいところは自分で訴えて特定の科の病院に行くしかないのだろうけど、そこまでひどいという事もないのでスルーしてしまっている。

普通の内科に行って訊いてみてもあまり重要にとられないし、専門のクリニックに行っても大きな病院に行って精密検査をしないとわからないと言われる。たぶん、大事には至らないのだろうが、どうにも異常に痛むことがあったりはするんだよね。それが正常の範囲内のものなのかがよく分からない。そのくらいのことが今までなかったわけではないし、我慢できないわけでもない。


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たのしいことってなんだ? [徒然]

人生において楽しい事って何だろう?
色々な人がいろいろな事をして楽しんでいる。ただ人が楽しんでいると思われる行為を見て、本当に楽しいのだろうかと思う事もしばしばである。

自分の生活を見ていて、趣味的にやっていることが面白い事なのかと疑問に思ってしまう。このブログも含めてとても重要な意味があるようには思えないし、必要があってやっているにもかかわらず面白い事はあまりない。

アニメオタなのだがアニメを見ていても言うほど楽しいわけじゃない。昔に最高に楽しい時があったのは事実だが、その時の刷り込みで続けている節があるのだ。またあの楽しさを手にしたい、そんな思いが続けさせているのではないかと。だから駄作アニメでも見てしまうし、見ずに積みあがる録画BD-Rの数は増えるばかりである。

大人になるとそういう趣味でやっていることも日々のルーチンワークに忙殺されてできなくなっていくのだろうが、病気を患ってから実家にずっといるので暇な時間はそれなりにある。なので趣味的なものに走っていくしかないのだが、それが面白くないのである。

鬱で何をしても面白くないみたいなことがあるようだが、実際それなのかもしれないなと思うこともある。ただ、薬を飲もうと飲むまいとそういう傾向自体は変わらない気がするのだ。実際、あんまり変わらなかったし。人の意欲はある程度薬でも制御できるのだろうけど、そもそもの根幹の楽しい事を見つけたり、楽しいと思う事自体の方向性は自分で作っていくしかないのだろう。

犬が年をとるとはしゃがなくなるように、人間としても年をとってはしゃがなくなっているだけなのかもしれない。色々なものが今まで見たことのあるものになっていくし、一回楽しんだものに関しては過去に楽しんだものの一つになってしまうのは仕方のない話だ。

三月のライオンで、桐山君が部員の人に負けると悔しいのに将棋やっていて楽しい?と訊かれて、進めば進むほど悔しいと宇宙の深淵まで見つめてしまうシーンがありました。まぁ深く考えるとフリーズしてしまう事ってありますよね。

将棋に限らず面白味はあるのかもしれないけど、それが楽しくなるかどうかは別問題なのだろうなと思う。勝つのが当たり前くらいの状態では面白くはないだろうし、あまり負け続けるのも楽しいものでもない。

それにそれを仕事としてやっていくには、高い賞金というインセンティブがないと話にならない気もする。ネットでは楽して儲けるみたいなクソみたいな商売をしている(ダマすのも含めて)人がいるけど、仮にそうして得たとしても楽しいかどうかは金を使うときになってからの楽しさしかないような気がする。まぁ儲けるだけでも楽しい人は多いとは思うけどさ。

世の中に楽しい事なんてそんなにないのかもしれないが、それを楽しめるかどうかはその人自身の中にあるのだろう。そして、楽しいと感じることの少ない人間というのも存在していて、どちらかというとそちらの方の人間に入ってしまうのであろう。

楽しめない性格というのは、幼児期や幼年期に楽しいと思う体験が不足していたんじゃないかと感じている。マンガは学習漫画しか買ってもらえなかったし、ファミコンもかなり遅い時期になるまで買えなかった。渇望ばかりあって楽しむすべをよく知らないという感じだろうか。大人らしい遊びも覚えればよかったのかもしれないが、正直そういうものはお金がかかるからできなかったしあまりできない。

正直、今まで何が楽しくて生きてきたのだろうと思ってしまう。楽しいばかりが人生ではないのはわかるが、辛いことが多すぎる気はする。飴と鞭も、ムチムチムチ、アメと思ったらムチみたいな。世の中が便利になりすぎて、生活の中に楽しみを見出すことも逆にしづらくなっているようだ。


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代謝を苦労なく上げるにはどうすればいいんだろう [徒然]

よくダイエットで基礎代謝がなんとかとかよく聞きますが、あれってどう上げるのかよく分からないですよね。食いもの食った後には体がポカポカするとかは代謝が上がっている証拠なんでしょうけど、そもそも食いもの食ってる時点でカロリー摂取をしているのでプラマイゼロどころかプラスに傾いていることは間違いないですよね。

厚着をしているってのもプラスなのかマイナスなのかいまいちわかりません。温かさを保てるという意味において、熱量を温存しているのか呼び水的に体温を上げて消費しているのかよく分からない気はします。かといって薄着でいても痩せる気はしません。というか、あまり薄着でいると風邪ひくので、その消耗で痩せる事はあっても、寒さに勝つために熱を発して健康的に痩せるという事はない気はします。

食い物を食っている時にも、唐辛子とかで代謝を上げるという話を一時よく聞きました。生玉ねぎとかもそういう効果があったかな? そういう工夫でただ食後に暑い状態をカロリー消費の状態にもっていくことはできるのかもしれません。

結局、運動して健康的に痩せるのしかないのかなと思いますが、サウナスーツじゃないけれども体温が高い状態で運動するとかなり消費しますね。運動していないでただ熱いだけじゃあんまり効果はないだろうけど。しかも、熱中症でやばいんじゃないかという状態に近いぐらいの方が痩せた記憶があります。

ただ命も危ないので水分補給は必要以上にしていた気はします。水は大事。汗をかいたらミネラル補給も大事。でもミネラルでダメになるときは相当運動しているから、それ以上運動を続けなくていいような。カロリーが不足してハンガーノックになっちゃうのはわかりやすいけど、塩分が不足してふらふらしているのって結構やばい。夏場に何回かなったことがある。汗が乾いて皮膚が粉っぽくなる。

それにしても、なんで昔体育会系で水を飲むなって言っていたのか全然わからない。全くの意味のない苦役でしかないわけで、軍隊の訓練じゃないんだからと思っていた。というか、昔の体育会系は軍隊から派生したのではと思わせる。のちにスポーツ科学が発達してうさぎ跳びと一緒に完全否定されるわけだが、基本スポーツには頭のいい奴が好んで入る領域ではないから、医学的な要素から修正されていったのだろう。

ただ病気のせいで外で運動ができないので、部屋の中で運動するしかないのだけれど、筋トレとかストレッチとか苦手でやらないんだよね。何というか辛さですぐにやめてしまう。走っているとかだとある程度行ってしまえば戻らないといけないので強制的に少しは運動するのだけれど、筋トレとかはすぐにやめられてしまうのでマゾ的な方向には走りにくい自分がいる。だから、ジムとかヨガとかやっている人はすごいなと思ってしまうのだけれど、こればかりは性格の問題かなと思う。運動にも実が伴っていないとやる気にならないというか。

食わない方向にも行かない。食わないとストレスがたまるから病気にもあまり良くない。太るのも健康に良くないのも分かっているのだけれど、生物として食物摂取は宿命的にあるものだし抑えられないよな。まぁみんなが苦戦しているのはそこなんだろうけど。食う物は工夫はできるんだろうけど、作る側に回らないのでどうにもできない状態ではある。勝手に作っていると逆に不摂生になりかねないし。

食っても無駄に消費してしまう病気もあるのだが、それはそれで大変そうだな。治った時が厳しそう。人間が無駄に長生きするようになったから、健康寿命なんて概念も出てきてしまった。大体、不健康前提で生きていて環境悪化で死ぬという状況が普通だったのが、健康で長生きなんて言われても無理って話ですよ。40代になって健康診断の数値が悪くなるってのも、昔はみんな50くらいで死んでいたから当然なのかもしれないですよね。

健康のためなら死んでもいいみたいな人が多いですが、不健康で無駄に長生きはしたくないなと思ったりはします。とにかく不快な思いをして過ごしたくはないですね。

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自分が発達障害じゃないかと疑ったことのある人 [徒然]

わりと多いんじゃないでしょうか、自分が発達障害なんじゃないかと思ってる人。判定に病院まで行くかは別として、発達障害に良くありがちな行動をしてしまう人って少なくないと思うんだよね。例えば片付けられないとかコミュ障だとか空気読めないとか。それはあくまで傾向なんだし、その傾向も程度問題という事なんだと思う。

国民の休日にNHKで発達障害の番組をやっていた。Eテレではそこそこよくやっている議題だけれども、NHK総合ではあまりないのではなかろうか。言葉にしてしまうと深刻さはないものの、実際に見てみるとこれは困るわというものが多かった。それにしても近江ちゃん顔は好みじゃないけど、全体的な雰囲気が好きだなw。

https://h-navi.jp/column/article/134

多くの人はその程度が日常生活に問題にならない程度に収まっているという事なんだろうけど、問題はそこで不都合が起きて解決できない状態になることだ。仮に発達障害と判定されたうえでも、日常生活や社会生活が上手く乗り切れていれば問題はない。というか、今までそこまで発達障害について細かく言われなかったのは、性格とかの範囲内だとされて無視されてきたからなんだと思う。

しかし、脳生理学的にもレセプター関連の病気であることは明らかにされつつあるし、程度の差はあれこの効率化された世界においては行動などが問題視されている。よく当事者じゃなくその親が、発達障害が病気じゃなく個性(の範囲内)だとする事を良く述べているのだけれど、それはその親が病気だと認めたくないだけなんじゃないかと思ったりする。病気だと設定して動いた方がその子のためになるし、親も発達障害の子供も楽になるだろうに、何で体面ばかり見繕うのかわからない。他の障害者と同じように扱われるのがそんなに嫌な事なのだろうか。

確かに人の程度によっては、この社会でもごまかしながら発達障害を個性として生きていくことはできるだろう。でも、昔と違って他人の好意を圧倒的に受けづらい世界になってしまっているのだ。恐らくは、親としては被差別カテゴリーにされたくないというのがあるんだろうが、LGBTや障碍者もどこまで行ってもそれは変わりのない事だし、病気による生きにくさと差別されてしまい不利益を受けるというのは、本来的には別のものだ。そもそも、病気で生きていくことに不都合が起きているならそれは障害と言っておかしくはない。それを個性だと言ってのける人は、逆に障害への差別を助長していると言ってもおかしくはない。

今の状況では、障害者と健常者をぶった切る敷居というのは明示化されているが、発達障害に関しては半分自己申告で他の障害者ほど明確ではない気がする。よくグレーゾーンと言われますが、困って一人で立ち止まって他人の助けが必要な状態であったとするなら、やっぱりそれは障害者と言わざるを得ないし、多くの場合認めてしまった方が事がすんなり進むのだろうと思います。

結局は程度問題なのだろうと思いますが、大人になってからは二次障害で気づくことも多いのでしょうから、その二次的な病気も背負っていかないといけないわけです。そういう意味では、子供の頃に発達障害と判定された人より、その程度よりもさらに根深いものとなってしまう可能性も大きいはずです。

都市化社会で現代にいろいろ歪みが生じているのはわかっていますが、少子高齢化にしても過疎にしても仕組み自体が循環せず立ち行かなくなっている気はします。高度な効率化によって便利な面と不可逆的に不都合な面が際立ってしまっているのでしょう。それが境界線上にあるグレーゾーンの発達障害の人々に顕著であると言えるのではないのでしょうか。

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Twitterでセクマイが気持ち悪いって話を見て [徒然]

正論を言うつもりなので、炎上することもないだろうし、意図的に炎上させるために書こうとも思っていない。何よりみんなが平静に暮らせることを願っているだけである。


LGBTとか最近良く取り上げられているけど、相変わらずテレビは変な人枠として採用している節がある。それが気のせいだというなら最近よく使われる「おねえ」という蔑称は何であるんだろう。セクシャルマイノリティを特別に見る事は差別だと大声で叫ぶ人間は少なくないが、正直おねえと呼ばれている人達はあまり見たくない。ゲイでもトランスジェンダーでも進んでテレビで見たいとは思えないのだ。だけどテレビは良く使う。明らかに見世物としての扱いだ。EテレのバリバラでLGBTのリテラシーを広めたいとかならわかるけど、明らかに売りにして金稼ぎをしている人は多い。

しかも、テレビなどが面白要因として使っているのが浅はかすぎる。それは昔からの伝統だからだろうか。気持ち悪いという言葉が差別なら、とてつもない違和感を感じると言ったらいいのだろうか。あえて違和感を感じさせられるのは見ていて疲れるし、あえてそういうおねえアピールを求められてやることも痛々しくて厳しい。テレビなどを見ていてそれを楽しめないのだ。大体が素直に笑えないし、周りのいじり方もそれ相応な扱いをする。それと自分は差別というより、あのタレントが嫌いに近いものがある。だからはるな愛は大丈夫でも現キングはちょっと…という慣れの問題でもあるのかもしれない。

ゲイバーに行ったことはないが、ガチでゲイを口説きに行っている人は少数派だと思う、良く知らないけど。少なくとも、ホステスがいるキャバレーやそれに類する男性用性風俗より性的に本気で行く人は少ないだろうし、ゲイバーに女子が行くという話もよく聞く。そういう意味で歴史的に見世物にされてきた一面は否定できないし、それに甘んじなければならない状況もあったのだと思う。そういえばレズバーって聞かないな。この世のどこかにはあるんだろうけどね、レズ風俗があるくらいだから。

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厄介なのはそういうのが助長されてはっちゃけちゃう人と、インにこもって自殺してしまうまで行ってしまう人がいるという状況。後者側は非常に残念と言う他ないが、自分で呑み込めないものを他人に飲み込ませることなんてどだい無理な話なのだ。ただ、思っていても言っちゃいけないというのは、大人としての対応としては守るべき事なのかなとは思う。世の中失礼な人間が多いし、ネットだとそれが増長してしまう事も多い。


話は少し変わるが、個人的に百合は大好きである。一時期百合マンガブームがあったが買い漁ったクチである。レズ物のAVもそこそこ見る。男同士は好きになれなくて、女同士ならいいのはなぜだと言われたらそういう嗜好があるとしか言いようがない。そういう意味ではセクマイと同じともいえるのかもしれない。

ただ、ガチレズのカップルを見ると目がイっちゃってるなと感じる事はある。というか、レズビアンとしてマスコミに出てくるのって相当勇気がいる事なんだろうなと、その気負いは感じずにはいられない。それはより頻繁に見るゲイなどの比ではないのだろう。だから基本的に腐女子と同じでファンタジーとして楽しんでいるだけなんじゃないかとも思える。


オッサンきもい、と言うのと、おかまキモイと言うのと何が違うのかと言われれば、結局、差別されるにしてもマイナーな弱いものは保護されるべき、という論法なんだろう(まぁおっさんだって弱い立場の人間はいるとは思うんだが…)。少数派は弱い立場に立たされることも多いからLGBTも保護されるべきだと。

ただ自分たちの主張を必要以上に声高に叫んでいるとしたら、それは叩かれても仕方ないなと思う。それはフェミニズムとかジェンダー論にも言える事で、それは別物だから公平にすることはできないでしょ本来、というところまでに踏み込んでしまう人が少なからずいるわけで。そういう論外は別にして、そういう存在があって不当に苦しめられているという事を表現する自体は主張すべきだとは思うけどね。でも存在は否定はせずともあまり見たいと思わない人も割と多くいるというのも配慮してほしいなぁと思うのも正直なところ。まぁテレビに必要以上に露出するのは避けてほしい。


もっとややこしい事にLGBT内でも差別があるらしい。のけ者にされているのはバイセクシャルらしいが、LGTからはどっちつかずで本当に苦しみを分かっているのか的な見方をされるようだ。確かにガチで性的な一致で苦しんでいる人にとってはどっちもいけるという節操のなさに見えるようで、バイとは同じセクシャルマイノリティとしてひとくくりにされたくないみたい。バイなのにホモセクシャルだと名乗って隠避している例もあるという。

結局、人間って分かり合えないものなんだなとつくづく感じる。結局、差別している人も差別するという多重構造ができているだけで、根本的に自分を飲み込むだけじゃなく他者の事情も呑み込む事もできないという状況だ。LGBT関係のディスる側を批判する人たちにそこまで飲み込んで語ることなんてできるはずもないと感じる。少なくともディスっている人を糾弾できる権利はバイセクシャルを批判しているLGTと同じ程度ぐらいかそれ以下しかないと思う。

確かにポリティカルコレクトは大事だと思うよ。それはアメリカのトランプを見ていても確かにそう思う。だから慮って言いたくても言わない事は大事なのだと、そこが出発点だしすべてだとも思うんだよね。ただリアルにもネットにも陰口をたたく人は多く、それは正当な批判ではないことが多い。


また話は変わるんだけど、前にツイッターでも書いたのだが、発達障害は病気であると認めた方が楽になるんじゃないのと。脳科学的に脳神経のレセプターの不具合であることは突き止められたようなので、多かれ少なかれ病気と判断していいのだろうと思う。発達障害の親は個性の範囲内だという人も多いが、それは子供のためにならない。個性の範囲内で済む話ではない人がかなりの数いる。だから無理をせず薬で抑えられる人は抑えるべきだし、病気だと思いたくない親類のために我慢する必要はないのだろう。非常に効率化された現代では生きにくいのは仕方ない話だ。

LGBTは病気かと言われると、多くの人はそうじゃないと言うだろうし、その点においてはアメリカなどで色々物議を醸しだしたという話は、知り合いの医者から何となく聞いている。ただ発達障害などと異なるのは思考に不連続性が帯びているという事だ。男性が少し嫌いとかじゃなく、男性を全く好きになれず同性を好きだという、性的な不連続性(性別が逆も真なりですが)。だけどこれを病気としても何か解決するわけでもないし、子作り以外は基本的に問題ないだろうし、そもそも脳を治すことが困難であるし治すべきものかさえもよく分からない。性格的な問題とすればそれで済む事なのかもしれないけど、どうにも腑に落ちない。

ただ言えるのは病的に困難であるという事実は残る。人間社会的に押しつぶされてしまう人もいるし、それを乗り越えるのは容易い事ではないだろう。そういう意味では弱者であるというのは間違いないところだ。薬で治せるものであれば治してしまいたいという人もいるのだろうが、そういった便利なものは現状存在しない。

LGBTは病気でも障害者ではないとされているけれども、ある意味それ以上の苦労を強いられている気もする。だから、他人に迷惑をかけない範囲内で助力が必要だと感じる。だからEテレのバリバラなどで障害者と同列で扱われているのもうなづけるところだし、困難さとしては同等と言っても過言ではないだろう。助力は無理だとしても配慮は必要だろう。マイノリティといえども、かなり数がいるメジャーマイノリティである以上無視はできないのかな。

人間ってつくづく平等にできていないから、下に沈んでしまう人をある程度底上げする必要は感じる。アメリカ的な自由だが助けが少ない社会よりかは、社会主義的な日本の方がよっぽどいいな。とはいえ、日本もバブルがはじける前から格差社会は始まっていると言われているので、みんなが安泰な時期は過ぎているのかもしれないけど。

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オルソケラトロジー気になるな。 [徒然]

今まで普通のコンタクトレンズやレーシックなどがありましたが、何となくメガネ男子で過ごしてまいりました。男子と言うほど若くはないので、レーシックはあまり適さないっぽいし、ずっと付けているコンタクトとかはあまりうれしくないのでした。

コンタクトでも良かったのだけれど、いちいち買いに行くのも面倒だし、就寝前の付け外し作業があまりに面倒だろうし、結局眼鏡と併用しないといけないので眼鏡でいいやんって話になってしまったのでした。コンタクトでも寝ている間もつけっぱなしならいいんだけど、それはそれで目に負担がかかるのだろうし厳しかった。

レーシックは単純に手術的に怖いというのと、やっても効果が薄い可能性があるというのが嫌だったのでやらなかった。何回かきっかけはあったんだけどやらなかった。値段も決して安いものではなかったしね。


テレビでちょこっとオルソケラトロジーがやっていて、名前も覚えていなかったんだけど「視力矯正 -レーシック」でレーシックを除いて検索したらすぐに出てきた。
https://orthokeratology.jp/

普通のコンタクトと違って寝ている間にするというのがいい感じ。しないでほっとけば元に戻るというのもある程度健康的な感じもするし。ハードコンタクトレンズ並みの手入れは必要みたいだけど、それは強制という目的だから仕方がないのだろう。

色々眉唾的なところもないことはないが、Q&Aで大体の理解はできるので不都合なところはそれほどないだろうと思われた。

https://orthokeratology.jp/orthokeratology/qanda/

一応デメリットというか適さない人やことにも言及があるし。
ただ20万円の眼鏡とすると少々お高い気もするな。今まで買い直した眼鏡代よりも高い気がするし。

まぁちょっと繁華街まで出ないと治療を受けられないので、そこのところがクリアになったら分からないかもしれないな。でも眼科だから土日は開いていないか。ううむ。結局、遠くを見る機会がないと近視が進んでいくのは止められないのかもしれない。

それにしてもオルソケラトロジーって名前が覚えられないw。

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訳の分からないイメージCMを打つ会社は大抵クソ [徒然]

ちょっと前に出川が一人二役でコインチェックがいいんだよ、と無駄に復唱するCMをやっていたのだが、すぐにNEMの流出事故を起こしていた。時を大して違えずにZAIFという会社も剛力彩芽を使ってCMを打っていたが、不祥事を起こしてCMから剛力を撤退させてしまった。たぶんギャラは払って打ち止めという事なんだろう。

仮想通貨自体がバブルになるだろうなという事は、マウントゴックスあたりで急激に冷え込むか逆に有名になって手を出す人が増えるかと感じていたので、想像に難い事ではなかった。しかし、これだけ色々出てくるとは思っていなくて、これを維持するためにGPUが無駄にエネルギーを消費しているのだなと思った。

ともあれ、CMをバンバン打てる会社というのは怪しいと思って間違いない。確かに財政基盤がしっかりしていてダメ押しのようにCMを打つ会社はあるのだけれど、どちらかというとそっちは少数派で、とりあえず知名度を上げて内容がなくても売ろうとする会社は多い。特に金儲けに関するものには眉唾なものが少なくはないだろう。FXが流行った時も、NISAが出てきた時も、やたらCMがやっていたけど今ではそれほど多くなくなったのは実態が見えたからで、濡れ手で粟の儲け話なんてないのが分かったからだ。

商品を売るためのCMは当然なのだろうが、それにしたって内容が伴っているものかどうかというのは別の話なわけで。本来なら口コミなどで商品の良さが広まって売れていくのがいいのだろうが、世の中に抜きんでたいい製品というのはそんなにあるもんじゃない。だからこそのCMなのだろうけど、おもちゃなどは本当に文字通りの子供だましのものが多いのだと今更ながら気づく。

少なくともCMで出てきていて知名度が高い会社に関しては信用に足るかどうかは別だとはっきりと感じた。逆にTVCMなどにつぎ込む金があったら地道に仕事に金をつぎ込めよと言いたくもなる。売り文句でCMでお馴染みのなんて言っている会社はやくざな会社が多い。

分かっているようでも色々会社を転々として社会勉強をしていくうちにしか実感的にはつかめないものだと感じる。何を信用していいかというのは難しい話だろうが、TVCMは基本的にあてにならないのは心に留めておくべきだ。TV局側にしてもスポンサーの悪いニュースはなるべく隠ぺいする方向に走るのだし。

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