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とある心理学者の強制収容所体験。 [本]

というのが、直訳っぽい題名。別にどこかのラノベみたいな名前じゃなくてもいいんだけど何となく。日本では「夜と霧」という名前で出版されている。ホロコーストの客観的な医者からの視点で描かれている。ホロコースト関係の出版物は沢山あるので、たぶん彼の言っているように趣を異にしたものである事は確かなようである。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

  • 作者: ヴィクトール・E・フランクル
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2002/11/06
  • メディア: 単行本


この本はホロコーストの全体像を描いたものではない。体験記だが個人的すぎるものでもないし、個人的な体験ではあるが客観的に書かれている。その点については本の冒頭で非常に煮え切らない書き方をしている。精神を対象とする医者だからといって自分を完全に客観視をするなんて無理である。突っ込もうとすればいくらでも突っ込みどころはあるが、それを言ったら患者に対するシンパシーが全くない人間が精神科を受け持てるかと言われれば、それはいささか疑問である。

まず初めにユダヤ人という前提はあまり書かれていない。ユダヤ人以外もいるのだろうけど、9割がたユダヤ人への虐殺だったので今さら書くまでもないという事なのかもしれない。恨みつらみがないわけではないけれど、非常に客観的なレポートとなっている。ユダヤ人うんぬんがしつこく民族主義的に書かれていると思っていたが、どちらかというと個人的に与えられた苦痛の方に焦点が置かれている。

肉体的な虐待もさることながら、精神的な部分がきつ過ぎる。まともな人間でさえおかしくしてしまう強制収容所という場所が実際にあったこと自体が信じられない。よくガス室送りとか、大量虐殺なんて聞いていたけれど、その前に労力を絞れるだけ絞って殺すというあまりにもひどい労役を強いられていたのは知らなかった。これならば、すんなり殺された方がいくらかマシだと思えるぐらい無理強いをさせられていたのだった。

カポーという存在や親衛隊や監視兵など心の休まるところはない。病気は蔓延しているし(チフスだっけ?)、仕事に使えなくなったらガス室に送られるまでもなく文字通り野垂死にだ。ガス室も苦しいだろうが、文字通り人間が擦り減るまで利用されて捨てられるってのは厳しい話だ。まぁ程度は違えどどの時代にも、仮に今の時代にもあるんだろうなと思ったり。


あぁテレビでもやっとったのか。知らんかった。テレビに言われんかっても名著だよこれは。

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

  • 作者: 諸富 祥彦
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2013/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


100分でと書いてあるけど、元々そんなに厚い本ではないので、読むのが早い人はそのくらいでも読めるんじゃないかな。ひどい状況なんだけど書き口が非常にあっさりしているので、その事がどんなに重要な重い事でも割と軽く読めてしまうところもあると思う。

逃げることのできない絶え間ない苦痛と、未来に見る希望と絶望。多くの人は精神的に折れてしまい、それが自殺という形を経ないでも肉体的に朽ち果ててしまう。しかし、内面の強さを持ち、おぞましいその状況に耐え抵抗できるものもいて、そういう人間はどこに行ったって生きていけるんだろうなと思った。

生きる意味を問うような状況、というか生きていることに何も期待できない時に、相手に何と答えたらいいだろう。生きることから何かを期待するのではなく、生きる事が私達から何を期待しているかが問題、と書いてあるが、そんな考え方なんてできないよなぁ。どちらにしても、それって与えられるようなものだしね。前者の期待する方もどこからか与えられるようなものだし、後者にしたって生きる事が期待しているという擬人的な事を言うのであれば、やっぱり心の中とはいえ外在しているものと考えざるをえない。

「生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きる事が各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けること」と言っている。結局、外在することへの正しい反応をするという事以上の事を私は得られない。生きる事は目的か、手段か、手段の目的化かと考えるとより一層状況は混乱する。

そして厄介な事に苦しむ事を課題とするという事すら考えるようになる。それは目の前にある苦悩を軽視してあまり見ないようにするという、普通の人の普通の反応すらできなくされていたという状況に陥っていたという事でもある。やっぱりホロコースト自体の非人道性は明らかなのだが、実際にそれがあった事について否定する事なく、その状況すら糧にして何かを得ようとしている人間の貪欲さとすら言えるものを見てしまった気がする。

というか、そもそもユダヤ人達に与えた苦痛自体に意味があるかと外側から見れば、そんなもの痛めつけた上での人殺しとしか見えない。それでも、その与える方の罪悪を糾弾せずに、絶望の淵で彷徨いながらも一縷の希望を持つ事を叫ばざるをえなかった彼の客観性もここまでくると怖いものがある。ホロコースト悪い、二度としたらダメだ、という前提は他のところでいくらでも言われていたから、こういう書籍が成り立ちうる事になったのだろう。逆に言えば、ホロコーストへの糾弾が前提にあるという事だ。

極端な制限をされた強制収容所という場所ではあるけれども、人間の苦悩はどこにでもあるもので、それを純粋培養したような環境というだけで、人の世の中は程度の差さえあれ、こういう考えを少しでも持ち合わせないといけないのだろう。それか収容所で多くの人がしていたように見て見ぬ振りをする事でその場をやり過ごすのが一番楽な方法なんだろう。いろいろな事に忙殺されるような人間にとっては、そんな事を考えている暇もないだろうし、暇を持て余すような人は生きる事以前に現状を変えていく事すらしていないのも多いのだろう。

最後にホロコーストを生き抜いた後がまた違った地獄だと思った。恐らく今でいうPTSDの人間は多かっただろうし、それが終わったからといって他人に危害を加えていい事にはならないのに、それをわからない人も多いらしかった。確かにイスラエルのあたりで、自分達は苦しめられたのだから、聖地に帰って何でもしてもいい的な意地の悪さを発揮しているのは今でもよくわかる。アメリカしか支持していないのに平和に暮らそうとせず自分達だけで占拠しようとしているわけだ。

ホロコーストは弾劾に値する行為ではあったが、それと今の問題は続いてはいるものの別問題だろう。それにそもそもホロコーストの世代はもうほとんど死に絶えているのだから、新たに問題を生み出すのは自分の苦悩を自ら生み出している事に変わりない。世の中には困った集団や国家が存在するが、それは自分の利害の為に妥当性のある事を無視し、自分の論理のみで成立する世界を作ろうとしているだけである。そんなものは他の人のいないところでやってくれ、と思うのだが地球は丸くて大体のところに人がいるんだよな。


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